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犬のしつけに“序列”は不要!リーダー論推奨トレーナーへの反論

犬のしつけ
今回の記事は、一部のトレーナーに対する痛烈な批判となっています。人によっては不快に感じる方もいらっしゃるかもしれません。閲覧は自己責任でお願いいたします。

別記事で詳しく解説したとおり、「飼い主が犬のボスにならなければならない」とするリーダー論は、学術的に否定されています。にもかかわらず、今日においてもリーダー論を推奨するドッグトレーナーが後を絶ちません。彼らのブログを拝読すると、その内容はあまりにも酷く、とてもプロが書いたとは思えないほどでした。ですので、この記事では彼らの考えを紹介しつつ内容を批判します。

トレーナーが推奨するリーダー論は、根拠とされる学術的アルファ理論とは主張内容が大きく異なっており、一部のドッグトレーナーによって都合よく改変されています。
そこで、当記事では学術主張に基づいたものを「アルファ理論(オオカミの群れには序列があるとする学術論)」、ドッグトレーナーによって改変されたものを「リーダー論」と表記しました。

リーダー論やアルファ理論など、間違ったしつけ方が広まった理由についてはこちら

主張の間違い① 犬は“強いもの”に従うという誤解

リーダー論支持者は、「犬には群れの中で順位をつけ、強い者に従う本能がある」と考えています。したがって飼い主は犬にとっての「ボス」にならなければならないと主張します。有名なシーザー・ミラン氏は「犬にもオオカミにも、強い者に従いたい欲求があり、その欲求を満たしてやらなければノイローゼになる」とまで断言しているのです。

彼らの主張の根拠

いったい彼らは何をもって「犬が強い者に従う」と述べているのでしょうか?彼ら、リーダー論支持者の著書や記事には、学術的根拠が何一つ出展として示されていません。つまり筆者の直観です。

食べ物を使ったしつけは、動物行動学や行動分析学といった学術的主張に基づいています。科学的根拠に基づく訓練法は、具体的なデータや研究を引用しなければ批判することは出来ません。なぜなら、学術的主張とは、複数の人間が長い年月をかけ客観的に観察実験の行った結果だからです。個人の直感で覆るものではありません。

根拠が示されないままでは、個人的な印象論にとどまり、建設的な議論にはつながらないでしょう。せめて、アルファ理論の文献の一つでも載っていれば参考になるのですが、それすら見当たりませんでした。これでは個人の印象論にとどまっていると言わざるを得ません。

主張に対する反論

さらに、リーダー論を推奨するトレーナーが使う「強い者」や「リーダー」、「ボス」といった言葉には、明確な定義がありません。これが最大の問題です。なぜなら、定義がないまま使われることで、あらゆる問題行動を“強さ”や“支配”の問題に還元できてしまうからです。

たとえば以下のような現象がすべて「犬が自分をボスだと思っているから」と説明されてしまいます。

散歩で引っ張る犬が自分をボスだと思っているから
飼い主の手を噛む犬が自分をボスだと思っているから
食事中に手を出すと唸る犬が自分をボスだと思っているから
ソファに勝手に乗る 犬が自分をボスだと思っているから
名前を呼んでも無視する犬が自分をボスだと思っているから

このようにして、問題行動が起こるたびに「ボス」「強さ」の意味が拡張されていき、本質的な分析や行動理解が置き去りにされます。

その結果、リーダー論における「強い者」とは、「散歩中に引っ張り、食事中に唸って飼い主の手を噛み、ソファでくつろぎながら飼い主を無視する犬」という、単なる問題行動の羅列になってしまいます。

よく考えてください。すべての行動をひとつの言葉で説明できるわけがありません。これは例えるなら、どんな症状を訴える患者にも「体力がないからです」と答える医者のようなものです。頭痛も吐き気も発熱も腹痛も、すべて「体力不足が原因」。そんな単純な説明なら、医者でなくてもできるのです。真に信頼できる医者は、症状の背後にある多様な原因を探るはずです。

同じように、犬の行動にもそれぞれ異なる原因があります。“ボス”という言葉だけですべてを説明しようとする姿勢には、科学的根拠も一貫性もありません。

また、強い者に従わないとノイローゼになるとのことですが、オオカミのリーダーはどうなのでしょうか?彼らの理論によれば、オオカミには群れのリーダー(アルファ)が存在するはずです。群れのリーダーには命令する存在がいません。リーダーは誰にも従っていないはずなのです。

つまり、「強い者に従わないとノイローゼになる」のが本当だとするなら、オオカミのリーダーは常にノイローゼになっているはずです。ノイローゼの固体が群を率いる、そんな生き物がいるのでしょうか?もはや論理として破綻しています。

主張の間違い②:「犬がへりくだる」という誤解

リーダー論支持者はリードでショックを与えたときの犬の行動について、大きな誤解をしています。彼らはリードでショックを犬は驚いたり反撃することもあるが、多くは飼い主に近づいてくるとしたうえで、その様子を「へりくだって近づく」と解釈しています。つまり、恐怖反応を服従のサインとみなす傾向があるのです。

主張に対する反論

まず、嫌悪的な刺激を受けた際の犬の行動は、私の直観と一致します。大抵の場合は近づいてきます。
しかし、「へりくだるように」というのは具体的にどのような行動を指しているのか、説明されていません。おそらく、頭を下げて上目遣いで飼い主に近づく行動を指しているのでしょうが、これを「へりくだっている」と解釈する根拠が示されていません。犬が特定の刺激に対して反応するシチュエーションは、より客観的な視点での判断が求められる場面です。この行動は犬たちが委縮しているだけです。犬に「へりくだる」という概念自体ありません。

そもそも「へりくだるように」と発言している時点で、「実際にへりくだっているわけではない」といっているも同然です。要するに「へりくだっているように見えるから、へりくだっているのだろう」という直観的解釈に基づく個人的意見といえます。

見た目だけで判断できるほど犬の行動は単純ではありません。生き物なので当然複数の感情が複雑に絡んでいます。犬の感情や行動の動機づけを見た目による直観だけで判断する行為は、専門家として慎むべきです。見た目だけで判断できるなら、一般飼い主でもできます。プロの存在意義がなくなってしまいます。

嫌悪刺激を受けた際に犬が頭を下げたり、体を縮めて飼い主に近づいてくるのは、恐怖反応です。雷や工事現場の騒音に対しても同様の反応を見せます。仮にこの行動が「へりくだっている」なら、犬は雷やブルドーザーに対しても「へりくだっている」ことになり、到底納得できる内容ではありません。おそらく、リーダー論支持者は、「犬は生物と非生物を区別できるほど知性がない」と反論するでしょうが、「へりくだる(謙遜する)」だけの知性があるという主張と矛盾してしまいます。

「恐怖反応」と「へりくだる」を区別できないようでは、犬の行動を客観的に観察する専門職としての資質が疑われます。それは、自動二輪車と普通乗用車の区別がつかない教習所指導員のようなものです。

遜るってこんな感じですか?

それともこんな感じでしょうか?

どちらも恐怖反応の現れです。これを遜ると言っているのだとしたら、トレーナーとしてレベルが低すぎます。ちょっとはお勉強してね!

主張の間違い③ 専門外の分野に言及

リーダー論支持者のトレーナーは一貫して、「犬の首は丈夫にできており、母犬も子犬をくわえて運ぶことから多少のショックでは怪我をしない」としています。また、今まで首にダメージを受けた犬はいないと主張する人もいました。そのため、リードショックによる身体的なダメージは心配ないというのが彼らの考え方のようです。

しかし、これはとても危険なことであると考えます。

主張に対する反論

まず、首の皮と頸椎は別の話です。母犬が子犬を首を掴んで運ぶ場合は頸椎に負担はかかりませんが、リードショックは頸椎に負担がかかります。さらに、首のダメージは素人(獣医師でない者)が見たくらいではわかりません。私の知り合いの獣医師は皆、首を痛めている子が多いといいます。また、首へのショックで眼圧上昇リスクもあるという報告が複数あります

ACVB 米国獣医行動学協会 ステートメント – American College of Veterinary Behaviorists

Vet Record: Lead pulling as a welfare concern in pet dogs: What can veterinary professionals learn from current research? – Townsend – 2022 – Veterinary Record – Wiley Online Library

Chaire Bien-être animal: Choke and shock collars are good for dogs and their training, TRUE or FALSE? – Chaire bien-être animal

私が以前拝見したブログでは、「身体のダメージを受けたという犬の情報はない」とありましたが、追跡調査の方法に問題はないでしょうか?リードショックでしつけた犬の集団と、リードショックを使わずにしつけた犬の集団と比較して、首を痛めている犬の割合に違いがなかったのでしょうか?

そもそも、そのような調査は複数の獣医師による協力が不可欠であり、とても費用が掛かるため、おいそれとはできません。もし主観的な印象のみに基づくのであれば、信頼性を高めるためにも、より客観的な調査手法の導入が望まれます。

多くのトレーナーは獣医学に関して無知である

トレーナーはしつけやドッグトレーニングの専門家であり、獣医学のプロではありません(トレーナー資格を持つ獣医師は除く)。したがって獣医師以外の者が、動物の健康や病、怪我などについて判断を下すことは慎まなければなりません。場合によっては、「獣医師法」という法律に抵触する危険すらあるということを、肝に銘じておくべきです。

主張の間違い④ 犬が無報酬で行動するという誤解

リーダー論支持者は服従に拘り過ぎです。手段が目的化しています。飼い主が意図した通りに犬が動けるようトレーニングするのは手段であり、目的ではありません。

にもかかわらず彼らはなぜか、服従に拘ります。私が参照したブログに「食べ物を報酬として与えたのでは、犬が飼い主に服従したとは言えない」とする記述がありました。その内容をまとめると以下のようになります。

  • 人間が「オスワリ」と指示する目的は犬を座らせることだが、犬はフードを得るために座っているにすぎない。
  • 犬は「人間の指示に従おう」としているのではなく、「座ると食べ物が得られる」という学習に基づいて行動している。
  • そのため、フードが与えられなくなると犬の目的が達成されず、ストレスがたまりやすい。
  • 気質の荒い犬では、このストレスが攻撃性を引き出す可能性がある。

主張に対する反論

まず、「食べ物を使うと食べ物がなければできなくなる」とのことですが、報酬なしで犬が動かないのは、あたり前です。皆さんは給料を一切払ってくれない会社で働きますか?無償で働くわけではない人間が、なぜ犬にだけ無報酬での行動を求めるのでしょうか?犬だろうが人間だろうが報酬なしでは動きません。

もしあなたが無償のボランティアしかしておらず、完全自給自足の生活をしておられるのでしたら、大変失礼いたしました。この先はお読みにならず、ブラウザを閉じていただいてかまいません。しかしそうでないなら、もう少しお付き合いください。

「獲物を追いかけて捕まえる代わりに、オスワリという動作をしているだけ」とのことでしたが、それがどう問題なのでしょうか?「オスワリ」や「おいで」を練習し、飼い主がコントロールできるようにする目的は、周囲に迷惑をかけないためです。周囲の迷惑にならない行動を引き出せるのであれば、それが「食べ物が欲しい」という動機でも、問題視する理由は見当たりません。

例えば、東京から福岡に出張に行く場合、重要なことは「決められた時間までに福岡に到着すること」です。それが達成できれば、交通手段が自家用車でも飛行機でも新幹線でも問題ありません。時間と財布の余裕で決めればよいのです。それを、「免許があるのに自家用車で行かないのはおかしい」とか、「飛行機を使ったら自力で出張したことにならない」といわれたら皆さんは納得できるでしょうか?

また、犬や人間はタダで得たものより、行動結果として得られる報酬の方が、同じものでも満足度が高いです。これは、人間も犬も昔は狩りをしていた生き物だからといわれています。頑張った結果として得られたものに満足できなければ、狩りをする気力も生まれません。進化論の視点でいうと、頑張った結果としての報酬にこそ喜びを感じられる個体が、自然界では生き延びやすかったのです。

つまり、「獲物を追いかけて捕まえる代わりにオスワリをさせる」からこそ、犬の行動欲求も満たすことができ、日々の生活も充実するのです。

問題は「食べ物しかあげないこと」

ただし、「食べ物を使ってほめる」ことしかしていないのであれば問題です。これでは犬の欲求を十分に満たすことはできません。犬たちは活動的な生き物なので、毎日遊んであげる、一緒に散歩に出かけることが大切です。

このとき重要なのは、飼い主も思い切り楽しむこと。義務感で作業的な遊びしかしていないと、犬たちは飼い主の感情を読みとりテンションが下がってしまいます。これでは遊んでいることになりません。遊ぶときはワンちゃんが思い切りストレス発散できるよう、飼い主さんも楽しみましょう(ただし興奮させすぎには注意)。

食べ物を使ってしつけること自体に問題があるのではなく、「それしかしないこと」に問題があるのです。

具体的な遊び方についてはこちら(執筆中)

そして、犬の特性に合った飼育環境を整えることも非常に重要です。問題行動の原因は、日々の生活の中にあることが少なくありません。散歩中の引っ張りや他の犬に対する吠えなどは、いっけん日々の生活習慣や家の中の飼育環境とは関係がないように感じるかもしれませんが、大いに関係があります。

※日々の生活習慣によるストレス要因と問題行動の引き金についてはこちら(執筆中)

報酬としての食べ物を完全になくすことはできませんが、「最小限にする」ことは可能です。その場合、ご褒美を与える頻度の減らし方がとても重要です。ご褒美の頻度はトレーニングが進むにつれて徐々に減らしていきます。このとき、ランダム(変動比率)で報酬を与えると、行動はより安定して持続することがわかっています。一定の頻度で減らすのではなく、ランダムにすることが重要です。

※ご褒美の減らし方についてはこちら(執筆中)

最後に、「フードが貰えなくなると、犬はストレスが溜まり、気質の荒い犬であれば、より攻撃的な面を引き出してしまうことにもなりかねない。」という記述がありましたが、これも間違いです。確かにフードをもらうという目的が全く達成されなくなった場合、消去バースト(※)と呼ばれる現象が起き、行動が一時的に強化されます。しかし、ご褒美がもらえないと分かれば犬は行動頻度が下がるだけです。仮にこのような状況で攻撃性が悪化した場合、ストレスの根本原因は他にあります。「フードをもらえない」は行動発現の引き金に過ぎず、根本原因ではありません。

先ほども説明した通り、ご褒美のフードは完全になくすのではなく、減らすだけです。ゼロには出来ません。減らすときは、突然ではなく徐々に減らします(延滞条件付けおよび部分強化)。したがって強い消去バーストが発生することはありません。発生した場合は、急激にご褒美を減らしすぎです。その程度のことで、飼い主を噛むようであれば明らかにストレス過剰です。日頃の生活習慣や飼育環境、あるいは身体に問題があるといわざるを得ません。これは食べ物を使うしつけだろうがリードショックだろうが関係ありません。

気性の荒さは原因が様々ですが、ストレスによる攻撃行動は日々の生活習慣と飼育環境に原因があることも少なくないので、まずはそれらを見直しましょう。特に生活習慣は犬種特性に合ったものでなくてはならないので、注意が必要です。

消去バースト:それまで得られた報酬が、行動しても得られなくなった際、行動が一時的に強化される現象。例えば、電話で友達と話をしているとき、こちら場発現すると相手の返答という報酬が得られます。このとき、発言しても相手の声が聞こえなくなったら、より大きな声で話します。これが消去バーストです。

主張の間違い⑤ 群れのリーダーと繁殖の相手を混同している

ほとんどの哺乳類は、強いオスがメスに認められるという事実があります。わかりやすいのはライオンです。若い放浪オスが群のオスに戦いを挑み、勝てば群のオスを追い出して自分が群に所属できます。これは一見すると群が強いオスに従っているように見えますが、そうではありません(詳細は後述)。

ヌーやシマウマなどの草食動物でさえ、メスを巡ってオス同士が戦います。しかし、これは群れのリーダーではなく、繁殖相手です。リーダーと繁殖相手は別です。人間でも理想の上司と理想の配偶者はちがいませんか?

さらに自然界のオスは、メスに強さを認めてもらうために、オス同士で戦います。決してメスに暴力を振るったりはしません。そんなことをすれば嫌われるだけです。百歩譲って犬が強い者に従うとしても、犬に対して暴力を振るうべきではないのです。

一見強い者に従っているように見えるライオンの群(プライド)

ライオンの群は強いオスが従えていると思っていませんか?実はライオンの群において、行動の決定権を持っているのはメスたちなのです。オスライオンはあくまでもメスたちに雇われたガードマンのような存在。その対価として、メスが獲った獲物を分けてもらっているのです。立場としてはメスの方が上、オスはいつ群を追い出されるか分かりません。狩りが苦手なオスライオンは、肉体的な力は強くても、群を守ることでメスたちに「飯を食わせてもらっている」とても弱い立場なのです。

食べ物を使うことの是非

リーダー論支持者のみならず、しつけに食べ物を使わないことに拘る方が一定数います。しかし、食べ物を使うか使わないかは、重要ではありません。どちらでもいいことなのです。犬の個性とトレーニング目的が合っており、周囲の迷惑にならなければ、食べ物を使おうが使うまいが、どちらでもかまいません。

重要なことは「ほめる=犬が喜ぶことをしてあげる」であると理解すること。犬は個性や気分があるので、何をしてあげれば喜ぶかは時と場合によります。食べ物を使うか使わないかで、しつけの質に優劣をつける行為は、しつけの本質を理解していない証拠です。ただし、犬は威圧しても喜びませんので、力で制御しようとしないでください。

近年ではリーダー論支持者のみならず、陽性強化推奨者でも「食べ物を使わない」ことに拘りを持つドッグトレーナーがいます。正直言ってどちらも論点がずれています。

しつけの方法は様々です。しつけの手法を選ぶ時の判断基準があります。多くのトレーナーが食べ物を使う方法を推奨する理由は、その基準を満たすことが多いからです。つまり、条件さえ満たしていれば食べ物を使おうが使うまいが関係ありません。様々な手法を習得し、状況によって使い分けることができれば、ドッグトレーニング上級者といえます。

トレーニング手法選びの基準についてはこちら

なぜリーダー論は正しいと錯覚してしまうのか

それは、様々な事象を「ボス」という単一の言葉で説明しており、矛盾がないように見えるからです。しかし実際には矛盾がないのではなく「矛盾が発生しないように、後出しで定義を追加しているだけ」です。
また、多くの事象を同じ言葉で説明していると、一見正しい主張であるように見えてしまいます。しかし同じ言葉で説明できるということは、本質から遠いということでもあります。問題の本質とは共通項ではなく、相違点にあるのです。

「ニホンザルの赤ちゃん」といえば皆が同じものを想像するでしょう。しかし、より広範囲をカバーする「生き物」といえば、犬やサルもしくはカラスや魚など、聞き手が想像するものはバラバラです。つまり、言葉がカバーする範囲が広がるほど具体性と本質性が薄れるのです。

例えば料理教室で料理に失敗したとします。次は美味しい料理をたくさん作りたいと思っても、アドバイザーが「不味いのは料理が下手だから」としか言わなかったら、改善のしようがありません。しかし、「あなたは塩分を濃くしすぎ」、「あなたは過熱が不十分」、といったように個々の生徒が抱えている問題点をピンポイントで指摘してもらえれば改善が見込めます。

「料理が下手」はすべての生徒に共通しますが、「塩分が多い」、「過熱が不十分」といえば個々の生徒が抱える問題を的確にとらえます。物事の本質とは他との相違点にあるのです。複数のものに共通する事柄は、仮にその説明が正しくても本質を何一つとらえていません。

「おとなしい犬=いい子」という幻想

確かにリーダー論に基づいたしつけを行うと、犬は大人しくいうことを聞くようになります。

しかし「おとなしい=いい子」という前提が間違いです。「いいこ」とは「心身ともに健康であり、周囲の迷惑にならない犬」と定義しなければなりません。心身共に健康でなければ、動物福祉の問題に触れるからです。リーダー論に基づくしつけは、この「心身ともに健康」という条件を満たせません。なぜなら、リーダー論でおとなしくなる犬は委縮して無気力状態になっているだけだからです。

どんなに吠えなくなっても、嚙まなくなっても、犬が無気力状態(人間でいう鬱病に近い)になっていたのでは、飼い主との遊びさえ楽しめない子になってしまいます。

犬は活動的で、テンションの高い生き物です。重要なことはそのテンションの高さで周囲に迷惑をかけないこと。迷惑にならない環境で遊び、ストレスを発散させ満足度が上がれば、落ち着きやすい子になります。常に静かな存在を望むのであれば、犬はあきらめて他の生き物を検討すべきかもしれません。

リーダー論推奨者の主張まとめ

リーダ論の主張反論
犬は強い者に従うそんな特性はありません。あるのは、権力だろうが腕力だろうが、力の強い者には逆らえないという物理法則だけです。そもそも、強い者の定義って何ですか?嚙む力が強い者ですか?パンチ力が強い者ですか?それとも声が大きい者でしょうか?それすら不明確なのでは、トレーニングを考えるスタートラインにすら立てていません。
食べ物を使ったしつけでは飼い主と良い関係が築けない。犬が飼い主に服従することこそがよい関係なぜ服従がよい関係と考えるのかわかりません。イヌ科の動物が強い者に従うという性質を持たないことは科学が証明済みです。力の強い者が弱者を従えるという関係はテロリストと人質の関係です。どこがよい関係なのでしょうか?
食べ物を使ったしつけでは、食べ物目的で動いているに過ぎず、食べ物無しでは指示に従わなくなる。

それは食べ物を使ったしつけ以外に何もしないからです。また、報酬なしで動物は動きません。フードでほめるしつけをしつつ、日々ボール遊びや引っ張りっこ、ノーズワークといった遊びを取り入れれば、いずれ「飼い主の存在自体」も報酬になります。

飼い主が犬を威圧しても、犬は飼い主に近づいてくる。

近づいてくるから問題ないという考えは危険です。相手が寝食を共にする飼い主であれば、苦痛を与えられても近づくことは多々あります。それは信頼ではなく、不機嫌な相手のご機嫌取りのようなものです。

最後に

令和の時代でもなお、「犬には強い者に従う本能がある」と本気で考えているドッグトレーナーは勉強不足です。

彼らの主張には一切の学術根拠が見当たらず、主観によるものばかり。それはかつてデイヴィッド・ミーチが広めたアルファ理論とも異なっており、トレーナーにとって都合のよい内容になっています。そのアルファ理論さえも、ミーチ本人によって撤回されました。学術論は時として間違えることがあります。常に最新の研究を学んでいなければ、間違ったやり方をいつまでも続けることになります。

トレーナーにとって、日々学術的な見解を学ぶのは業務の一環なのです。したがって「犬は強い者に従う本能をもつ」などと本気でぬかすトレーナーは職務怠慢です。そのような一部の怠慢トレーナーに苦言を呈します。

いい加減目を覚ましてお勉強なさい。プロならプロらしくありなさい。

「ほめるしつけ」も10年前のやり方とは大きく変化しています。これは、新しい手法を追加していった結果です。一度知識を身につけたら終わりではありません。常に情報のアップデートが必要です。そして常に、「本当に理論は正しいのか」と疑いの目を持ち、論理的多角的に考え続けなくてはなりません。人は自分に都合よく解釈するものです。トレーニング理論がトレーナーの都合によって捻じ曲げられてはいけません。ロクに知識も持たぬうちから経験則に頼るから「犬には強い者に従う本能がある」などとナメ腐った発想になるのです。

そうならないためには情報アップデートが主観によるものではなく、学術的(再現性・客観性があり、間違いがあった場合はすぐに気づけるもの)でなくてはならないのです。そのような地道な努力を続けられる人こそ、プロが本来あるべき姿といえるでしょう。

それが出来ないというのなら、さっさとドッグトレーナーを廃業してください。それが犬や飼い主さんたちのためです。

確かに、現在の陽性強化法(ほめるしつけ)に問題がないとは言いません。しかし、学術的に間違いが示され、犬たちを無気力に追い込みかねないしつけよりは、はるかにマシです。

犬のトレーニングは多角的に見る必要があります。犬の立場では、生物学的視点、動物行動学的視点、行動分析学的視点、そして飼い主の立場でも、行動分析学的視点や認知心理学的視点、教育心理学的視点、社会心理学的視点、そして法律やモラル・マナー、動物福祉といった視点でも、しつけ方が適切であるかを考えなければならないのです。

参考文献

Mech, L. D. (1999). “Alpha Status, Dominance, and Division of Labor in Wolf Packs,” Canadian Journal of Zoology, 77(8), 1196–1203.

奥田順之. (2022). 犬の問題行動の教科書. 緑書房.

鹿野正顕. (2021). 犬にウケる飼い方. ワニブックスPLUS新書.

太田光明 & 大谷伸代 (編著). (2011). ドッグトレーニング パーフェクトマニュアル. チクサン出版社.

Millan, Cesar. 藤井留美訳. (2015). ザ・カリスマ・ドッグトレーナー シーザー・ミランの犬と幸せに暮らす方法55. ナショナルジオグラフィック

JAPDT. (2023). 第18回JAPDTカンファレンス資料. (非売品)

Townsend, L., et al. (2022). Lead pulling as a welfare concern in pet dogs: What can veterinary professionals learn from current research? Veterinary Record, Wiley Online Library.

Chaire Bien-être animal. (n.d.). Choke and shock collars are good for dogs and their training, TRUE or FALSE?

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